全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

沖縄

大学3年の夏に沖縄に行った。春だったかもしれない。思い出せない。

 

 

 

その時わたしは国際協力プログラムなるものに参加していて、要は「発展途上国に一定期間行っていろいろ考えてくれたら単位あげるよ~!」というマジチョロイベントだった。教育学部にいたものの教師になる気はさらさら無かったので、親友も行くし私も行こ~くらいのノリで参加した。

 

 

私の通っていた広島大学は敷地が広大で、教室移動も車で行くレベルだったので、教育棟から国際なんとか棟までみんなで乗り合わせて敷地内道路を爆走して授業に行ったりして青春だった。

 

 

そこで、外見も中身も松岡修造似の男性教授による「発展途上国に行く前に沖縄に行って自己啓発をしよう」みたいな謎の発案のもと、学生十数人と教授二人で沖縄に行くことになった。2泊3日で沖縄へ、そこからフェリーで座間味島へ向かい民泊に泊まった。

 

 

沖縄へ向かう飛行機の中で教授は「自分にとって5つ大事なものを書き出し、それぞれ同じタイミングで1つずつ捨てていこう」と言った。学生たちはそれぞれの大事なものを5つ、なぜか石に書いた。最終日に残った1つの石が、人生の核になるという話だった。

 

 

一日目、二日目と大事なものを捨てる儀式が行われ、私たちの手持ちの石は減っていった。

 

 

私は自分が何と書いたかさっぱり覚えていないが、なぜか親友が「母」と「歌」の石を持っていて一番に「母」を捨てたのを覚えている。きっと親友の「母」は今も座間味島の海に沈んでるんだろう。

 

 

私たちは座間味島の小学校を訪れたり、海ではしゃいだり夜に部屋で友人の誕生日祝いムービーを撮影したりと、それはそれはエモい夏の思い出を丁寧に築いた。


最終日、島から沖縄本島に帰るまでのフェリーの中で、教授が残り2つになった石の片方を選び取って海に捨てるように言った。私もそうしたし、みんなもそうした。パッションが炸裂した旅の当初とは違い感慨深い雰囲気で、飲まれやすい私はそれだけで泣きそうになった。

 

そろそろ到着するという頃に、教授がフェリーの端で佇んでいるのが見えた。

私は教授の元へ行って、少し話した。教授は、私たちプログラム参加生のメンバーがいかに素晴らしいかを黄昏れながら話してくれた。

 

 

私はこの日を一生忘れまいと思った。

 

 

教授に、最後に残った石を見せた。教授はにっこりと笑って言った。

 

 

 

 

「でもね、結局一番大切なのは『自分』だよ」

 

 

 

 

 

いや自分かい。2泊3日何だったんや。

 

 

 

 

 

 

【余談】

同じ学科の天真爛漫な友達の石が「楽しく生きる!」だった。名詞じゃなくても良いの?