全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

乳首

あれはもう10年ほど前になるのだけど、当時22歳だった私はマタニティ大学生というとんでもない奴だった。それを恥とも思わずにあっけらかんと、ゆとり教育の産物ですと顔に書いて生活していた。


忘れもしない3月の終わり、通っていた産婦人科で開催されたプレママスクールに参加した。それは妊婦さんが助産師さんから話を聞いたり不安に思うことを話して共有したりするような、どの産婦人科にもよくある取り組みだった。


ところが自己紹介を済ませると、二人の助産師さんが急に「ではっ!おっぱいチェックしま~す!」と王様ゲームみたいなノリで進行し始めた。質の悪い合コンかと思った。


助産師さんいわく、おっぱい、特に乳首をマッサージして柔らかく伸ばしておかないと産後に赤ちゃんの吸う圧で乳首が切れてしまうのだと言う。そんなこと全く知らなかった初産の私は、乳首から血が出たりかさぶたになったりするのを想像するだけで一気に産後が恐ろしくなった。


とはいえそこは産婦人科、妊婦さんは指示を受けたとおり当たり前のように服を着たままブラジャーを取って、するすると器用にブラジャーを首元や裾から取り出した。


男性に話すとだいたい「嘘やろ」「話盛ってない?」と言われるのだけど、女というのは妊娠や出産となると一気に恥じらいがなくなるというか、羞恥心のメーターが振り切れている。「え?嫌だな、恥ずかしい」なんて気持ちがマジで大げさでなく失われるのだ。特にバレー部出身の人(私調べ)。


その例としてフードコートで授乳ケープといううっすい布を体に巻いて普通にそこで赤ちゃんにおっぱい飲ませている人とか普通にいる。男性が気づかないだけ。


で、私も例に漏れずそうだったので、助産師さんの「おっぱい診るからブラジャー撮ってね~!」の「ブラジャ」あたりで食い気味にブラを外した。


それから助産師さんがマンツーマンで妊婦さん一人一人のおっぱいをチェックしていく。さすがに人が乳首引っ張られとるところはジロジロ見れないので、なんとなく壁に飾られた誰の子か分からん小さな手形足形を「フンフーン」みたいな感じで眺めて自分の番を待った。


助産師さんは乳首マッサージ方法を丁寧に、そして明るさを忘れず快活にレクチャーして行った。いよいよ私の番だ。ベテランの貫禄のあるおばちゃん助産師が私の服の中に「失礼しま~す」と言って手を入れた。と、その瞬間。



「お!バッチグー!立派な乳首じゃね!」


拝啓、知識人様。かつてこの国の言の葉でバッチグーの対象が乳首だったことがありましたでしょうか。おばちゃん助産師は私の乳首をつまんだり軽く引っ張ったりして「大きさも充分」ときっぱり言った。待って私乳首大きかったん?歴代の元彼全員にそう思われとったんか?控えめに言って死にたいど?


「あんまり胸の大きさは関係ないけん気にしないでオーケー」


気にしとるとは一言も言ってないのにおばちゃんは目をキラキラさせてそう言い残しそのまま横の妊婦さん、もとい横のおっぱいにスライドした。プレママとしてママになる心得など学ぶ予定が、胸が小さいのに乳首が大きいというパーソナリティだけが無邪気に公開された。


結果的に、私はその3か月後に無事出産し可愛い長男と対面した。母乳は初日からグビグビ出たし断乳までたったの一度も乳首が圧で切れることはなかった。なんせ大きくて伸びのいい乳首なもんでね。


それなのにその産婦人科は私が出産した数か月後に廃院になった。長男をベビーカーに乗せて半年健診を受けに産婦人科へ行き、病院の入り口に貼られた貼り紙を見て立ち尽くした。あとから聞くには経営者が株で失敗して突然潰れたらしい。半沢直樹の世界観やめろ。


数年後、二人目を妊娠して別の産婦人科に通院した時、プレママスクール・交流会と書かれたプリントを渡された。私は不参加に丸をして提出した。


おしまい

 

 

nightof.booth.pm

 

まだ買っとらんの?!?!