全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

SNSと私

さまざまなSNSを利用しているが主な住処はTwitterとnoteだ。
ただ、人と話していて認識の違いに困ることがよくある。

最近あったのは親しくしていたTwitter相互の方から「noteもフォローしてもらえませんか」と言われたこと。すみませんと言い慌ててフォローしたのだけど正直言うと私はnoteのタイムラインは全く見ないのでなぜそれが相手にとって重要なのかいまいち理解できなかった。

 

そんなわけで今日は、他人に諸々を察してもらうためだけにSNSにおける自分の認識を示しておこうと思います。

 

Twitterのタイムラインについて

 

追えてない。全く追えてない。特に土日はほとんど追えてないと思う。好きなツイートはオモシロなネタ系、ジェンダーの学びになる系、育児ほのぼの系。あとお笑い界隈の反応のリサーチや自分の記事のエゴサはよくする。
あとはnoteの更新をシェアしてる人が目に留まったら読んでいく。「目に留まったら」なのでタイミングを逃すと更新に出会えず、そのため読み落としがすごく多い。

 

Twitterのリプライについて


相互の方でもそうじゃなくても返すスタンス。ただ繰り返すが「見落とし野郎」なので他意無く見落としている可能性高いですが。

Twitterのいいねについて

おもしろいなとか勉強になるなとか応援したいなとか、単純にかわいいなとか思ったらいいねする。けどそんなにこだわりないかも。そういえば「もらったリプにはいいねする」という常識を知らず仲良いnoteの方に一度言及されたので、教えてもらって以降は気をつけて、もらったリプにはいいねするようにしている。が、し損ねることも多いかも。

Twitterのフォローについて

基本的にリプもらったらフォロバしている。

・noteのタイムラインについて

全然見ない。人の更新はTwitterから拾うのがほとんど。あと「あの人最近読めてないな」と思い返してその方の名前で検索したりする。が、出てこなくて結局読めなかったパターンとかよくある。
昔はフォロー数をゾロ目にしたくて「111」という数字にこだわっていたが仲良くしてくれる人が増えたので一気にフォローを増やした。誰をフォローしていて誰をフォローしていないとかはあまり把握できていません。

 

・noteのコメントについて

コメント欄はここ1年くらい閉じている。「◯◯さんのコメントには返信するのに私のにはしてくれないんですね!」とのお怒りをいただいて以降、コメント欄は閉じました。正直これも私のいいかげんな性格が原因であり、どのコメントに返信したかをマジで分かってないんですスミマセン。「◯◯さんにだけ返さない」と考えたことなどただの一度もないですよ!信じていただけると何よりですが。


・noteのスキについて

既読感覚で押していた。けれど最近noteで「いいと思ってないならスキなんてされたくない」というご意見を目にしたので自分のことを言われているような気持ちになって怖くなり気軽にスキするのをやめてしまった。noteにおいてはスキの認識があまりに各々のズレがあるような気がする。トラブルになりたくないのでnote公式が「既読」と「スキ」の要素を分けてほしい。

・noteの自薦について

「私のこのnote読んでもらえませんか?」とDMを貰うことがたまにある。感想を伝えるのは得意ではないですが、心より歓迎してします。

・性格について

話題が急カーブ。ここまでどうでもいい内容をつらつら書けばだいたいの人は中盤で離脱するだろうからあえてここで私の性格の話をしてみる。私は鋭い言葉、人を傷つける言葉、例えば「最低だな」「死んじまえ」などに群がる人間が大嫌いだが、反対に「素晴らしい」「そなたが正しい」などの超肯定用語に群がる輩もまた大嫌いだ。
これは自分の血縁関係の中にはびこる宗教への信仰の姿に対する反発心によるもなのだけど、私は誰か一人を神様と崇めることに興味はないし、したくない。
こんな内容にピンとくる人がいるかもしれないしいないかもしれないし、まあいないでほしいんだけど、私はとても今くるしいなと思う夜を過ごしていて、それはなぜかというと私が100%の偽りのなさで人を信じることがこのたびできなかったからだ。
私は、人を責めることも守ることもしない代わりに、沈黙する。

「沈黙するなら認めると一緒」「沈黙するなら否定すると一緒」と好きに解釈してもらえたらもうそれでいい。この話題は終結としたい。