全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

充電

充電が嫌いだ。常にスマホの充電が20%前後をうろうろしている。

 

 

夜寝る前に必ず充電をできる人は大学受験で五教科七科目ちゃんと履修した人より凄いと思っている。私は絶対にできない。心底めんどくさい。体温で充電できたらいいのになと思って強めにスマホを握ってみたことすらある。

 

 

「ねえ、これ見て」とスマホを差し出した時にその画面を見ずに「充電ないやん」という奴がいる。私にとって20%は「ある」なのだが???「充電ないやん」勢と「画面バキバキやな」勢は、「これ見て」と言ったものを見ずに斜めツッコミすることが生き甲斐のようですのでどこかの世界線で天下分け目の戦いでもしといてほしい。

 

 

しゃーなし笑いながら「充電いつも忘れる」と言うとだいたい「持ち歩ける充電器あるよ」とか親切に教えてくれるのだけど、持ち歩ける充電器すら充電せにゃいけんの詰んでない?設計ミスではないですか?

 

ちなみに充電はスマホ以外のものもろくにできないのでうちのルンバは常に充電切れだし電子タバコなんてもってのほかだし電気自動車なんか買おうもんなら月2でJAFのお世話になると思う。

 

 

私が眠った後そのへんに放り投げられとるスマホが自分で充電器まで歩いてくれたらいいのに。ないかな?そういう令和のトイストーリーみたいなアレ。

 

 

という話を大人にしたところで相手にされないので判断能力のない息子・9歳に切々と語ったところ「充電してもせんでも生活変わらんのんならいいんじゃない?」と解決顔で言われた。いいこだね。あと生活は変わるよ。

 

 

ちなみに娘・6歳にも同じ話をしたら「いいね いいね 大丈夫だね」と言われた。ノンタンみたいで良い。

 

 

 

 

 

 

充電さえあればスマホで読める著書置いときます(宣伝)。発売から4ヶ月経ったけどいまだに売れとるの怖くなってきた。元カレ全員買っとんか?

 

沖縄

大学3年の夏に沖縄に行った。春だったかもしれない。思い出せない。

 

 

 

その時わたしは国際協力プログラムなるものに参加していて、要は「発展途上国に一定期間行っていろいろ考えてくれたら単位あげるよ~!」というマジチョロイベントだった。教育学部にいたものの教師になる気はさらさら無かったので、親友も行くし私も行こ~くらいのノリで参加した。

 

 

私の通っていた広島大学は敷地が広大で、教室移動も車で行くレベルだったので、教育棟から国際なんとか棟までみんなで乗り合わせて敷地内道路を爆走して授業に行ったりして青春だった。

 

 

そこで、外見も中身も松岡修造似の男性教授による「発展途上国に行く前に沖縄に行って自己啓発をしよう」みたいな謎の発案のもと、学生十数人と教授二人で沖縄に行くことになった。2泊3日で沖縄へ、そこからフェリーで座間味島へ向かい民泊に泊まった。

 

 

沖縄へ向かう飛行機の中で教授は「自分にとって5つ大事なものを書き出し、それぞれ同じタイミングで1つずつ捨てていこう」と言った。学生たちはそれぞれの大事なものを5つ、なぜか石に書いた。最終日に残った1つの石が、人生の核になるという話だった。

 

 

一日目、二日目と大事なものを捨てる儀式が行われ、私たちの手持ちの石は減っていった。

 

 

私は自分が何と書いたかさっぱり覚えていないが、なぜか親友が「母」と「歌」の石を持っていて一番に「母」を捨てたのを覚えている。きっと親友の「母」は今も座間味島の海に沈んでるんだろう。

 

 

私たちは座間味島の小学校を訪れたり、海ではしゃいだり夜に部屋で友人の誕生日祝いムービーを撮影したりと、それはそれはエモい夏の思い出を丁寧に築いた。


最終日、島から沖縄本島に帰るまでのフェリーの中で、教授が残り2つになった石の片方を選び取って海に捨てるように言った。私もそうしたし、みんなもそうした。パッションが炸裂した旅の当初とは違い感慨深い雰囲気で、空気に飲まれやすい私はそれだけで泣きそうになった。

 

そろそろ到着するという頃に、教授がフェリーの端で佇んでいるのが見えた。

私は教授の元へ行って、少し話した。教授は、私たちプログラム参加生のメンバーがいかに素晴らしいかを黄昏れながら話してくれた。

 

 

私はこの日を一生忘れまいと思った。

 

 

教授に、最後に残った石を見せた。教授はにっこりと笑って言った。

 

 

 

 

「でもね、結局一番大切なのは『自分』だよ」

 

 

 

 

 

いや自分かい。2泊3日何だったんや。

 

 

 

 

 

 

【余談】

同じ学科の天真爛漫な友達の石が「楽しく生きる!」だった。名詞じゃなくても良いの?

 

 

IDとパスワード

IDとパスワードが嫌いだ。シンプルにうっとおしい。

 

IDとパスワードを登録した時、だいたいのタイミングで「この情報を記憶しますか?」みたいなポップアップが出てくるのだけど性格がせっかちなので閉じるボタンを連打してしまい、ひとりで「あッ!!!!!あッウワア~~~」と毎回なる。

 

あの人たち私のことをすぐ忘れる。入り口で「誰でしたっけ?」と聞いてくる。いやこないだ君のおうち行ったじゃんという気持ちになる。私行ったじゃん。

 

しゃーなし思い浮かぶIDなどを入れてみるのだけどだいたいいつも使うのは同じで、それが違うと出るとマジでパニックになる。私が一生のうちに押す「パスワードを忘れた人はコチラ」の数は一生のうちに猫を愛でる数と同じくらい多い。

 

 

トラップもある。たとえばIDがメールアドレスというパターン。めちゃ腹立つ。だったらIDじゃなくてメールアドレスは?て聞いてほしい。「彼女おるん?ふーん…じゃあ好きな人は?」て聞いてくる2段階認証みたいなことやめてほしい

 

これは実生活でもよく起こる。自宅の玄関のドアは鍵がふたつついている。私はいつも上か下かその両方かどの鍵をかけるかを決めていない。だから帰った時は上を開けてガン、下を開けてガン、は???開かん。といった現象が頻繁に起きる。

 

 

鍵をふたつ作るのはどうしてだ。他人の家に侵入しようとするバカがいるからだ。IDとパスワードを設けるのはどうしてだ。他人のプライバシーを侵害しようとするクズがいるからだ。つまり自衛しなくてはならない汚い社会が悪いのです。IDとパスワードを覚えられない私は何も悪くないのですガハハ!

 

 

何度でも後ずさりする私インマイヘッド

週末にとても悲しいニュースがあった。子連れで遊びにきていた友人の一人がスマホを見ながら大声で叫んで、内容を聞いた私たちも「え?!!?!」と叫んだ。

 

 

それからなんだかみんな元気がなくなってしまって、場を持ち直すような発言が続いたけど軌道に乗らなくて、なんとなくその日はお開きすることになった。時刻は午後4時。まだまだ遊び足らなそうだった子供たちの様子。

 

 

一人で後片付けをしながらSNSを開くと知りもしないだれかの空っぽなツイートが目に飛び込んでくる。イケメンの悩みなんてたかが知れてるとか不謹慎系YouTuberさんお仕事ですよ!とかそんな感じ。あーあ気持ち悪、こいつらどんな顔してんだろうなと思ったけれど、そこに行きつくということは私だってそういう詮索の仕方をしてるわけで、例えばだけど人のお名前の後ろに「理由」だとか「いつ」だとか入力して検索してる時点で私も結局そういう奴だよ、と悲しくなって見るのをやめた。

 

 

友人がそろそろ帰ると言ったときはホッとしたくせに今度はだんだんつらくなってきた。東京にいる親友が落ち込んでいるのがラインから伝わってきて、伝染するようにズズズと沼にハマっていくように足元が沈んでいって、そのままベッドにずぶりと横になった。

 

 

そうしていると連絡をちょうどとっていたマキちゃんと餃子を食べることになり、こころに細い光が差し込んだ気がした。ひとりだとそのままベッドから体を切り離すことができない気がしたから助かった。マキちゃんとマキちゃんの息子が材料を買っておうちに来てくれた。せっせと餃子を包んで焼いて、みんなで食卓を囲んだ。

 

 

その夜、単身赴任の夫が帰ってきた。入れ違いでマキちゃん達は帰った。私はアサヒスーパードライを2缶飲んで眠った。

 

 

朝、起きて子供をバスケの練習に送り出して、テレビをつけたら若き俳優の死の話題で持ち切りだった。大御所のお笑い芸人さんがこのようなことを言った。

 

 

「(魔が差しても)くっと一発寝ちゃったら、朝起きたら『危ないとこやったなあ』みたいになることもあるとおもうんですけどねえ」

 

 

とてもよく分かる。ほんのぎりぎりの、右にいくか左にいくかの綱渡りの上のようなギリのバランスだったら、朝起きて「昨夜はやばかった。あぶね~」みたいになることもあるとおもう。

 

 

けどどうかなあ、もしも本当に生きるのがつらくてつらくて仕方なかったとしたら。朝起きて「あっぶね~」てなるかなあ、むしろ「また死ねなかった」ってさらに沈んでしまうんじゃないかと、そんなことを考えてしまったな。

 

 

彼の選択の動機は知らないし憶測で議論が突っ走っていくのは見ていられないけど、私はぼんやりと「ていうかタレントって職業の人らってちゃんと守られてんのかな」とか思った。サラリーマンの過労死も問題だけどさ、このタレントっていつ寝てんだろうかみたいな人もいますよね。もしもしんどかった時に定期的に受診する時間は確保できて、しかるべき薬はあんのかなとか。いや、彼の亡くなる動機が何だったのかは私は分かりませんよ?そのニュースから派生した私のぼんやりとした頭のふきだしを書き留めているだけです。

 

 

昔から思っていた。夢が叶ったという言葉がいまいちピンとこないのは、叶った後もその人の生活は続いていくわけでそこでなんかきっついなーと思ったときに「でも夢が叶ったんだから」と言われたら後ろ道もふさがれるよなーって。選択の自由とか多様性とかみんな言うけど結局それって前進の仕方の話であって、「後戻り」に関してはいまだネガティブイメージですよね。後戻りっていうのも一つの選択であってほしいけど「すべてを投げ出して努力しました」とか「逃げ道を自分で潰して挑戦しました」的なのがやっぱ美談になりやすいよなあ。繰り返しますが俳優さんの死に関する言及じゃないですよこれは。

 

 

私も母親であって本業があって副業のライターがあってっていうパラレルワーカーなので「チャレンジ好きな人」と思われることが多いんだけど、私の場合はチャレンジ好きではあるけどそれと同じくらい後戻りもしている。3か月くらい付き合ったけどお金と労力に見合わなくて執筆お断りしたWebサイトの編集部もあるし、その編集者さんとは関係が気まずくなったままなんとなく今も相互フォロー。後味の悪いメールはまだ残っている。

 

 

まとまりはないけれどなんだかとても悲しく、やるせない気持ちになった週末だった。皮肉なことに今日は私の32歳の誕生日、これまた皮肉なことに空は晴れている。私だけが週末に残ってるみたいで、切り替えるにはこの上ない今日という日なのに、なんだか頭だけがついていけてないような感覚。

 

 

午前中の仕事が片付いたら一人でラーメン屋にでも行こうと思う。私にできることは世界を変えることではなくて、もっとミクロな、例えば自分のことを褒めてくれた人のスクショを見返すとかコンビニスイーツ「スプーン二つください」て嘘ついて家で一人で2つ食べるとか、そういうこと。そういうことしかできないけどそういうことが一番大事。体に小さな絆創膏貼っていくみたいなやつ。そしてそれはほとんど「気のせい」で「考えすぎ」な傷なんである。

 

 

 

 

濃厚接触

濃厚接触というワードに未だにちょっと照れる。たくさん勉強した頭のいい人が大勢集まっとるのにセンス終わってる

 

 

偉い人が大真面目にやる「呼び名は濃厚接触者で統一しましょう」みたいな会議で絶対端の席の若い奴が「やーなんかもうちょいパッとしたワードないすかねえ…」と喉まで出かかっていたはず

 

 

接触はまぁアリとしても濃厚はさすがに無い。個人軸すぎる。納得いかないので「濃厚 類語」とググったら「どぎつい、強烈な、充実した、くどい、こってり」などと出てきて「ですよね?!?」と確信しつつ「そのレベルの接触ってあんま無いよ????」と余計照れた。

 

 

あまりはっきりとは書けないが私の会社のやりとりする企業から感染者が出た。すでに快方に向かっているとのことで安心したが知らせを受けた時たまたま一緒にいた親しくない上司に「ないよな?!濃厚接触!」とまっすぐ目を見て言われ、やけに変な気持ちになりつつ「あ、はい無いです…(照)」と目を右下に逸らすほかなかった。

 

 

その翌日、総務課より「その企業と濃厚接触があったか全員メール要返信」との通達があったのだがそこから怒涛の勢いで「濃厚接触ナシです」「濃厚接触ナシです」「濃厚接触ナシです」と延々続くので私の中の濃厚が麻痺してきた。むしろ濃厚でないことが不安になってくるわ。日本人よ淡白に生きてますね

 

 

ともあれ早くこの不安定な状況を逸脱したいのが国民の総意なので誰かコロナウイルスに言ってやってください。コロナちょっと調子乗りすぎ。最高学年の文化祭じゃないです

 

 

 

noteで読者を減らす試みをしている

表題の件、ご確認いただけると幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

noteで1年半エッセイを書いてきた。7月に入ってから試みていることがある。

・予約投稿をやめた(バラバラの時間に投稿)
・書く話題を「母性」に絞る

つらかった出来事を物語風にしたエッセイやエモい恋愛を懐古するエッセイが好きだと言ってくれた人たちはきっと離れて行くだろう。
また、私は今「母性の無さ」に向き合っているので、子育てほのぼの系や「ママってこんなに大変なんだよ!」系が好きな人も同様に離れて行くだろう。

それでいい。
私は今、人の眼中から外れたいと思っている。

 

誰かに意識を向けられたくない。

 

 

文章の力で自分自身をテレビやYouTubeなどのメディア化するのではなく、
地方局の小さなラジオチャンネルにしたいと思うようになった。

なぜなら平和だから。
好きな人しか聴いてないから。

 

 

 

 

何かが嫌で逃げ出したというネガティブな理由でなく、書きたいものが定まった(そしてその書きたいものは世論に反しているから場所を選んでいく)というポジティブな理由で決めたことだ。

 

好きに書くということは好きに生きるということ。

 

 

 

 

自転車

自転車が嫌いだ。車輪が細い。あんな自立性のないものに体を預けられる人の気が知れない。カイジの鉄骨渡りとほぼ同じ。

 

人に話すとたいてい笑えない話になるのだが、高校の時に自転車に乗った男にすれ違いざまに股を叩かれたことがある。

 

 

一人で学校から歩いて帰っていると前から猛スピードの自転車が迫ってきて、その男が私の制服のスカートに手を伸ばした。おそらく脚を触られるとかスカートをめくられる流れだったのだろうけど自転車のスピードが出過ぎてそいつの手首が私の恥骨に思い切り当たった。痛かった。その恥骨殴り野郎はふっとんだ私を振り返ることもなく猛スピードのまま逃げ去っていった。

 

 

痛さと恥ずかしさで動揺しまくった私はむくりと立ち上がり、何を思ったかその後偶然会った友人カップルに事の顛末を興奮して説明した。持ち前のサービス精神ですべらない話のように派手に話してしまったが家に着くとだんだんと腹が立った。こっちが歩きなのに自転車のスピードは卑怯だし万が一転げて骨とか折れとったらシンプルに交通事故じゃん

 

 

ちょっと真面目な話になるが女、とりわけ若い時の女というのは恥ずかしさという駅から怒りという駅まで電車が直行せず、なぜか恥ずかし駅を発ったはずなのに気づいたらお笑い駅だとかごまかし駅だとかに到着してしまう。泣いたり怒ったりする方がずっと素直なのにそうはなれない複雑な沿線に迷いこんでしまうことがある

 

 

話を戻すと自転車という至極アンバランスで心もとない乗り物に体を預けそれを片手で操作しつつもう片方の手で田舎の女子高生の股を叩くという危険度の高い動作は、もう少しリスクの少ない性欲の発散の仕方があるんじゃないかと思えてならないし、もしあいつが自転車じゃなくて一輪車に乗っていたら私は股に加えて胸まで触られていたのかもしれない。

 

 

だから今度も自転車を信用することはない。18歳以降は乗った記憶もない。

 

 

ただ自転車のスタンドを考えた人はマジですごいなと思う。あの細くてまっすぐな棒を斜めにつけて「あ~これで固定できるジャン!」と町工場が沸いたと思うとプロフェッショナルよろしく胸の奥が熱くなる。