全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

IDとパスワード

IDとパスワードが嫌いだ。シンプルにうっとおしい。

 

 

マイナンバーカードとかいう応募者全員大サービス的な紙はなかば押しつけのように流通させたくせに、SNSやオンラインショップ・サブスクリプションなどさまざまなメディアが何かにつけてIDとパスワードを聞いてくる世の中の仕組みはどうにかならんか。

 

 

IDとパスワードを登録した時、だいたいのタイミングで「この情報を記憶しますか?」みたいなポップアップが出てくるのだけど性格がせっかちなので閉じるボタンを連打してしまい、ひとりで「あッ!!!!!あッウワア~~~」と毎回なる。

 

 

あいつら私のことをすぐ忘れる。入り口で「誰でしたっけ?」と聞いてくる。いやこないだおまえん家行ったやんという気持ちになる。私行ったやん。金まで払ったやん。

 

 

しゃーなし思い浮かぶIDなどを入れてみるのだけどだいたいいつも使うのは同じで、それが違うと出るとマジでパニックになる。私が一生のうちに押す「パスワードを忘れた人はコチラ」の数は一生のうちに猫を愛でる数と同じくらい多い。

 

 

いくつかのトラップもある。ひとつはIDがメールアドレスというパターン。クソキレそうになる。だったらIDじゃなくてメールアドレスは?て聞いてこい。「彼女おるん?ふーん…じゃあ好きな人は?」て聞いてくるめんどくさい女かお前は。

 

 

もうひとつはセキュリティの強化というパターン。いつも使うパスワードは7文字なのだけどたまに「パスワードは10文字以上必要です」みたいな時があってお前が私のセキュリティレベルを定めるなよと腹が立つ。そこだけは私の自由だろ。

 

 

これは実生活でもよく起こる。自宅の玄関のドアは鍵がふたつついている。私はいつも上か下かその両方かどの鍵をかけるかを決めていない。だから帰った時は上を開けてガン、下を開けてガン、は???開かんやん。といった現象が頻繁に起きる。

 

 

鍵をふたつ作るのはどうしてだ。他人の家に侵入しようとするバカがいるからだ。IDとパスワードを設けるのはどうしてだ。他人のプライバシーを侵害しようとするクズがいるからだ。つまり自衛しなくてはならない汚い社会が悪いのだ。IDとパスワードを覚えられない私は何も悪くない。

 

 

ちなみに一番意味分からんのはパスワードを忘れた時の「秘密の質問」という謎のシステムだ。小学校の卒業式で女子が配るプロフィール帳みたいなくだらない質問が並ぶ。何が「母親の旧姓は?」や。福田じゃ福田。そんなんで「じゃああなたは◯◯さんですね!」とはならんだろ。アイデンティティなめんな。

 

 

 

何度でも後ずさりする私インマイヘッド

週末にとても悲しいニュースがあった。子連れで遊びにきていた友人の一人がスマホを見ながら大声で叫んで、内容を聞いた私たちも「え?!!?!」と叫んだ。

 

 

それからなんだかみんな元気がなくなってしまって、場を持ち直すような発言が続いたけど軌道に乗らなくて、なんとなくその日はお開きすることになった。時刻は午後4時。まだまだ遊び足らなそうだった子供たちの様子。

 

 

一人で後片付けをしながらSNSを開くと知りもしないだれかの空っぽなツイートが目に飛び込んでくる。イケメンの悩みなんてたかが知れてるとか不謹慎系YouTuberさんお仕事ですよ!とかそんな感じ。あーあ気持ち悪、こいつらどんな顔してんだろうなと思ったけれど、そこに行きつくということは私だってそういう詮索の仕方をしてるわけで、例えばだけど人のお名前の後ろに「理由」だとか「いつ」だとか入力して検索してる時点で私も結局そういう奴だよ、と悲しくなって見るのをやめた。

 

 

友人がそろそろ帰ると言ったときはホッとしたくせに今度はだんだんつらくなってきた。東京にいる親友が落ち込んでいるのがラインから伝わってきて、伝染するようにズズズと沼にハマっていくように足元が沈んでいって、そのままベッドにずぶりと横になった。

 

 

そうしていると連絡をちょうどとっていたマキちゃんと餃子を食べることになり、こころに細い光が差し込んだ気がした。ひとりだとそのままベッドから体を切り離すことができない気がしたから助かった。マキちゃんとマキちゃんの息子が材料を買っておうちに来てくれた。せっせと餃子を包んで焼いて、みんなで食卓を囲んだ。

 

 

その夜、単身赴任の夫が帰ってきた。入れ違いでマキちゃん達は帰った。私はアサヒスーパードライを2缶飲んで眠った。

 

 

朝、起きて子供をバスケの練習に送り出して、テレビをつけたら若き俳優の死の話題で持ち切りだった。大御所のお笑い芸人さんがこのようなことを言った。

 

 

「(魔が差しても)くっと一発寝ちゃったら、朝起きたら『危ないとこやったなあ』みたいになることもあるとおもうんですけどねえ」

 

 

とてもよく分かる。ほんのぎりぎりの、右にいくか左にいくかの綱渡りの上のようなギリのバランスだったら、朝起きて「昨夜はやばかった。あぶね~」みたいになることもあるとおもう。

 

 

けどどうかなあ、もしも本当に生きるのがつらくてつらくて仕方なかったとしたら。朝起きて「あっぶね~」てなるかなあ、むしろ「また死ねなかった」ってさらに沈んでしまうんじゃないかと、そんなことを考えてしまったな。

 

 

彼の選択の動機は知らないし憶測で議論が突っ走っていくのは見ていられないけど、私はぼんやりと「ていうかタレントって職業の人らってちゃんと守られてんのかな」とか思った。サラリーマンの過労死も問題だけどさ、このタレントっていつ寝てんだろうかみたいな人もいますよね。もしもしんどかった時に定期的に受診する時間は確保できて、しかるべき薬はあんのかなとか。いや、彼の亡くなる動機が何だったのかは私は分かりませんよ?そのニュースから派生した私のぼんやりとした頭のふきだしを書き留めているだけです。

 

 

昔から思っていた。夢が叶ったという言葉がいまいちピンとこないのは、叶った後もその人の生活は続いていくわけでそこでなんかきっついなーと思ったときに「でも夢が叶ったんだから」と言われたら後ろ道もふさがれるよなーって。選択の自由とか多様性とかみんな言うけど結局それって前進の仕方の話であって、「後戻り」に関してはいまだネガティブイメージですよね。後戻りっていうのも一つの選択であってほしいけど「すべてを投げ出して努力しました」とか「逃げ道を自分で潰して挑戦しました」的なのがやっぱ美談になりやすいよなあ。繰り返しますが俳優さんの死に関する言及じゃないですよこれは。

 

 

私も母親であって本業があって副業のライターがあってっていうパラレルワーカーなので「チャレンジ好きな人」と思われることが多いんだけど、私の場合はチャレンジ好きではあるけどそれと同じくらい後戻りもしている。3か月くらい付き合ったけどお金と労力に見合わなくて執筆お断りしたWebサイトの編集部もあるし、その編集者さんとは関係が気まずくなったままなんとなく今も相互フォロー。後味の悪いメールはまだ残っている。

 

 

まとまりはないけれどなんだかとても悲しく、やるせない気持ちになった週末だった。皮肉なことに今日は私の32歳の誕生日、これまた皮肉なことに空は晴れている。私だけが週末に残ってるみたいで、切り替えるにはこの上ない今日という日なのに、なんだか頭だけがついていけてないような感覚。

 

 

午前中の仕事が片付いたら一人でラーメン屋にでも行こうと思う。私にできることは世界を変えることではなくて、もっとミクロな、例えば自分のことを褒めてくれた人のスクショを見返すとかコンビニスイーツ「スプーン二つください」て嘘ついて家で一人で2つ食べるとか、そういうこと。そういうことしかできないけどそういうことが一番大事。体に小さな絆創膏貼っていくみたいなやつ。そしてそれはほとんど「気のせい」で「考えすぎ」な傷なんである。

 

 

 

 

濃厚接触

濃厚接触というワードに未だにちょっと照れる。たくさん勉強した頭のいい人が大勢集まっとんじゃけーなんか他にいいの無かったんか。

 

 

偉い人が大真面目にやる「呼び名は濃厚接触者で統一しましょう」みたいな会議で絶対端の席の若い奴が「やーなんかもうちょいパッとしたワードないすかねえ…」と喉まで出かかっていたはずなのだ。

 

 

接触はまあアリとしても濃厚はさすがに無い。個人軸すぎる。濃厚かどうかは個人の育ちに左右されるし実際私も女子校出身の大学の同級生が腕を組んできた時はぎょっとした。でもそれはあくまで私にとっての濃厚であり彼女に何も落ち度もない。

 

 

納得いかないので「濃厚 類語」とググったら「どぎつい、強烈な、充実した、くどい、こってり」などと出てきて「ですよね?!?」と確信しつつ「そのレベルの接触ってあんま無いよ????」と余計照れた。

 

 

あまりはっきりとは書けないが私の会社のやりとりする企業から感染者が出た。すでに快方に向かっているとのことで安心したが知らせを受けた時たまたま一緒にいた親しくない上司に「ないよな?!濃厚接触!」とまっすぐ目を見て言われ、やけに変な気持ちになりつつ「あ、はい無いです…(照)」と目を右下に逸らすほかなかった。

 

 

その翌日、総務課より「その企業と濃厚接触があったか全員メール要返信」との通達があったのだがそこから怒涛の勢いで「濃厚接触ナシです」「濃厚接触ナシです」「濃厚接触ナシです」と延々続くので私の中の濃厚が麻痺してきた。むしろ濃厚でないことが不安になってくるわ。日本人よ淡白に生きとんなあ。

 

 

ともあれ早くこの不安定な状況を逸脱したいのが国民の総意なので誰かコロナウイルスに言ってやってください。お前ちょっと調子乗りすぎ。最高学年の文化祭と違うど。

 

 

 

noteで読者を減らす試みをしている

表題の件、ご確認いただけると幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

noteで1年半エッセイを書いてきた。7月に入ってから試みていることがある。

・予約投稿をやめた(バラバラの時間に投稿)
・書く話題を「母性」に絞る

つらかった出来事を物語風にしたエッセイやエモい恋愛を懐古するエッセイが好きだと言ってくれた人たちはきっと離れて行くだろう。
また、私は今「母性の無さ」に向き合っているので、子育てほのぼの系や「ママってこんなに大変なんだよ!」系が好きな人も同様に離れて行くだろう。

それでいい。
私は今、人の眼中から外れたいと思っている。

 

誰かに意識を向けられたくない。

 

 

文章の力で自分自身をテレビやYouTubeなどのメディア化するのではなく、
地方局の小さなラジオチャンネルにしたいと思うようになった。

なぜなら平和だから。
好きな人しか聴いてないから。

 

 

 

 

何かが嫌で逃げ出したというネガティブな理由でなく、書きたいものが定まった(そしてその書きたいものは世論に反しているから場所を選んでいく)というポジティブな理由で決めたことだ。

 

好きに書くということは好きに生きるということ。

 

 

 

 

自転車

自転車が嫌いだ。車輪が細い。あんな自立性のないものに体を預けられる奴の気が知れない。カイジの鉄骨渡りとほぼ同じだろ。

 

 

人に話すとたいてい笑えない話になるのだが、高校の時に自転車に乗った男にすれ違いざまに股を叩かれたことがある。

 

 

一人で学校から歩いて帰っていると前から猛スピードの自転車が迫ってきて、その男が私のスカートに手を伸ばした。おそらく脚を触られるとかスカートをめくられる流れだったのだろうけど自転車のスピードが出過ぎてそいつの手首が私の恥骨に思い切り当たった。クッソ痛かった。その恥骨殴り野郎はふっとんだ私を振り返ることもなく猛スピードのまま逃げ去っていった。

 

 

痛さと恥ずかしさで動揺しまくった私はむくりと立ち上がり、何を思ったかその後偶然会った友人カップルに事の顛末を興奮して説明した。持ち前のサービス精神ですべらない話のように派手に話してしまったが家に着くとだんだんと腹が立った。こっちが歩きなのに自転車のスピードは卑怯だし万が一転げて骨とか折れとったらシンプルに交通事故やろうが。

 

 

ちょっと真面目な話になるが女、とりわけ若い時の女というのは恥ずかしさという駅から怒りという駅まで電車が直行せず、なぜか恥ずかし駅を発ったはずなのに気づいたらお笑い駅だとかごまかし駅だとかに到着してしまう。泣いたり怒ったりする方がずっと素直なのにそうはなれない複雑な沿線に迷いこんでしまうことがあるのだ。

 

 

話を戻すと自転車という至極アンバランスで心もとない乗り物に体を預けそれを片手で操作しつつもう片方の手で田舎の女子高生の股を叩くという危険度の高い動作は、もう少しリスクの少ない性欲の発散の仕方があるんじゃないかと思えてならないし、もしあいつが自転車じゃなくて一輪車に乗っていたら私は股に加えて胸まで触られていたのかもしれない。

 

 

だから今度も自転車を信用することはない。18歳以降は乗った記憶もない。

 

 

ただ自転車のスタンドを考えた奴はマジですごいなと思う。あの細くてまっすぐな棒を斜めにつけて「あ~これで固定できるジャン!」と町工場が沸いたと思うとプロフェッショナルよろしく胸の奥が熱くなる。

 

 

 

不要不急の執筆

4月に出版した本がいまだじわじわと売れている。とても嬉しい。正直、初動で終わるもんだと思っている自分がいた。私は野心家の割に頭の隅で「まあ自分には出来てこんなもんだろうな」と限界を想像する性格なので、2ヶ月経ってもまだじわじわどこかの誰かに届いているのが本当に嬉しい。(宣伝も兼ねて貼っておく。買ってほしいなあ)

 

 

 

 

なお仕上げないといけない原稿は一文字も書いていない。とあるメディアで月1でインタビュー記事を書いているけど専門職の人しか見られないやつだから変に肩ひじをはってしまう。インタビュイーも読者も専門職なのにインタビュアーだけが素人なのだ、いつも背伸びをしているのがきっとバレているだろうと思う。

 

 

TwitterのDMにとある音声配信アプリの営業メールが来た。資料を一応見た。私は自分の声が好きじゃないので音声配信はもれなく聞く専である。ちなみに音声配信は基本的に女性のを聴くのが好き。

 

 

女性の声はいい。赤ん坊が高い声に反応するというのは本能らしいけど、私は声の高い低いよりも話すスピードに心地よさを感じる。スピードはゆっくりめのほうがいいし、間がある方が安心する。最初YouTubeに抵抗があったのはあのスピード感によるものなんだと最近発覚した。なんか速いもんねYouTube

 

 

増えてきた広告の仕事がまた減ってしまった。私の給料は変わらないけどやっぱり物足りない気持ちになる。

 

 

「きらいなものを1000字で語る」と銘打って始めたこのブログ、お気づきの方もいるかもしれないがだんだんときらいなものについて書かなくなってきた。なぜか?きらいなものってあまり次々生まれるもんじゃないんだなということに気づいてしまった。少なくとも私は。しまいには最近「きらいなものが書けないから何かきらいなものがほしい」というパラドックスが生まれてしまって途方に暮れている。

 

 

ここまでが私の最近の頭の中。あとは性について。それについては昨日noteに書いた。

 

 

https://note.com/ahs345/n/n9bfc64dc3a5b

 

 

みんなインターネットとリアルを切り離しているはずだし、それがインターネットの正しい使い方だと個人的には思っているんだけど、私はなかなか住み分けというのが上手くできない人種らしく、どこに点を置いて書いていてもその点と点をすぐ繋いでしまう。

 

 

noteという点、はてブという点、Twitterという点、インスタグラムという点。それぞれが独立したものであり別人格であっていいはずなのにどうしても結局自ら線でつないでしまう。別人格として住み分けることができないならあちこちに点を振る必要もないのにどうしてだろう、ただただ手間を増やしているようにしか思えない。

 

 

ただ驚いたのが、一人だけ「はてブからTwitterに行きnoteを読みました」とDMをくれた人がいた。めっちゃ恥ずかしかった(笑)最初がはてブなのはほんまに恥ずかしい。悪ふざけの人格からマジメな人格に移行するのをよく受け入れてくれたもんだ。私ならその時点で共感性羞恥が働いてその人のことが無理になってしまう。

 

 

個人の印象ではリアルの世界に何かしらの軋轢を感じてネットの世界に別人格を作り逃げ込んだ人が多い気がして、かくいう私もそうなんだけど、でもこうして1年半ぽつぽつと書いてきて思うのは、やっぱり私はリアルの世界でのコミュニケーションの方が得意なのかもしれないという想いだ。

 

 

ネットは大好きだし書くことも大好きだけど、リアルの友人に「本当はあなたはこんなに優しい子なのにね」と言葉をかけられたとき、ああ私を誤解している人全員私に直接会ってほしい!と謎な感情になってしまった。顔を見て喋りたい、好きな相手ならなおさら。ライターのお仕事を貰っておいてなんだけどテキストコミュニケーションへの信用が薄れている。

 

 

 

……うーん、私は今何を書いとるんだ?????

 

 

つまり伝えたいのは名画の修復と新入生歓迎会の幹事は素人にはやらすなということだけです

 

 

免許更新

免許の更新に行った。夫と誕生日が近いので子供を預けて一緒に行った。

 

 

朝イチに行ったのにとんでもない人数が行列を成していた。夫は「うわ、これ昼の部になるんじゃないん?あーたいぎいこんな並んだのに午前の部入れんかったらたいぎい」とボヤいていた。うちの夫は短気で無愛想、私は不機嫌になるんじゃないかとヒヤヒヤした。

 

 

長時間待ったのちなんとか受付を済ませなんやかんやの書類の記入をして、嘘みたいに適当な視力検査を終え顔写真を撮影し、講習に至った。

 

 

講習は私が1時間、夫が2時間の別部屋だった。夫が戻ってくるのをベンチで待っていると、体の大きい夫が出てきてずんずんとこっちに来た。ぱっちり二重の大きな瞳をギロッとこっちに向けて「帰ろう」と言った。

 

 

新しい免許証をお互いに見せながら車に戻る。長い講習を受けて疲れたであろう夫に「てかさ~あの事故のビデオみたいなん見たら『自分も気をつけよう』って思うよな」と話を振った。

 

 

すると夫がまっすぐと前を向いて言った

 

 

「いや俺ほんまこれ大事だと思うわ!!!」

 

 

え?好き

 

 

「俺ほんまこれ定期的にやった方がいいと思うわ!マジで大事だと思うわ!気持ちが引き締まるしほんま大切なことやわ!!!」

 

 

勢いすご

たいぎい言うてたのに

 

 

夫は講習の重要性を語りながら運転席に乗り込んだ。すごい真顔ですごいまっとうなことを言ってるその姿に圧倒された。その直後軽自動車に割り込みされて「おい!お前さっき講習で習っただろうが!!!」と車内で叫んでいてクソうけた。