全部おとぎ話であれ

きらいなものを1000文字で語る

不要不急の執筆

4月に出版した本がいまだじわじわと売れている。とても嬉しい。正直、初動で終わるもんだと思っている自分がいた。私は野心家の割に頭の隅で「まあ自分には出来てこんなもんだろうな」と限界を想像する性格なので、2ヶ月経ってもまだじわじわどこかの誰かに届いているのが本当に嬉しい。(宣伝も兼ねて貼っておく。買ってほしいなあ)

 

 

 

 

なお仕上げないといけない原稿は一文字も書いていない。とあるメディアで月1でインタビュー記事を書いているけど専門職の人しか見られないやつだから変に肩ひじをはってしまう。インタビュイーも読者も専門職なのにインタビュアーだけが素人なのだ、いつも背伸びをしているのがきっとバレているだろうと思う。

 

 

TwitterのDMにとある音声配信アプリの営業メールが来た。資料を一応見た。私は自分の声が好きじゃないので音声配信はもれなく聞く専である。ちなみに音声配信は基本的に女性のを聴くのが好き。

 

 

女性の声はいい。赤ん坊が高い声に反応するというのは本能らしいけど、私は声の高い低いよりも話すスピードに心地よさを感じる。スピードはゆっくりめのほうがいいし、間がある方が安心する。最初YouTubeに抵抗があったのはあのスピード感によるものなんだと最近発覚した。なんか速いもんねYouTube

 

 

増えてきた広告の仕事がまた減ってしまった。私の給料は変わらないけどやっぱり物足りない気持ちになる。

 

 

「きらいなものを1000字で語る」と銘打って始めたこのブログ、お気づきの方もいるかもしれないがだんだんときらいなものについて書かなくなってきた。なぜか?きらいなものってあまり次々生まれるもんじゃないんだなということに気づいてしまった。少なくとも私は。しまいには最近「きらいなものが書けないから何かきらいなものがほしい」というパラドックスが生まれてしまって途方に暮れている。

 

 

ここまでが私の最近の頭の中。あとは性について。それについては昨日noteに書いた。

 

 

https://note.com/ahs345/n/n9bfc64dc3a5b

 

 

みんなインターネットとリアルを切り離しているはずだし、それがインターネットの正しい使い方だと個人的には思っているんだけど、私はなかなか住み分けというのが上手くできない人種らしく、どこに点を置いて書いていてもその点と点をすぐ繋いでしまう。

 

 

noteという点、はてブという点、Twitterという点、インスタグラムという点。それぞれが独立したものであり別人格であっていいはずなのにどうしても結局自ら線でつないでしまう。別人格として住み分けることができないならあちこちに点を振る必要もないのにどうしてだろう、ただただ手間を増やしているようにしか思えない。

 

 

ただ驚いたのが、一人だけ「はてブからTwitterに行きnoteを読みました」とDMをくれた人がいた。めっちゃ恥ずかしかった(笑)最初がはてブなのはほんまに恥ずかしい。悪ふざけの人格からマジメな人格に移行するのをよく受け入れてくれたもんだ。私ならその時点で共感性羞恥が働いてその人のことが無理になってしまう。

 

 

個人の印象ではリアルの世界に何かしらの軋轢を感じてネットの世界に別人格を作り逃げ込んだ人が多い気がして、かくいう私もそうなんだけど、でもこうして1年半ぽつぽつと書いてきて思うのは、やっぱり私はリアルの世界でのコミュニケーションの方が得意なのかもしれないという想いだ。

 

 

ネットは大好きだし書くことも大好きだけど、リアルの友人に「本当はあなたはこんなに優しい子なのにね」と言葉をかけられたとき、ああ私を誤解している人全員私に直接会ってほしい!と謎な感情になってしまった。顔を見て喋りたい、好きな相手ならなおさら。ライターのお仕事を貰っておいてなんだけどテキストコミュニケーションへの信用が薄れている。

 

 

 

……うーん、私は今何を書いとるんだ?????

 

 

つまり伝えたいのは名画の修復と新入生歓迎会の幹事は素人にはやらすなということだけです